恥ずかしながら今日のお題に乗ってみる

故郷は遠くにありて思ふものなり

これって、帰ってみると案外つまらないものだってことですよねこんにちは。

 

記事を投稿しようと投稿ページに移動すると枠のすぐ上に

特別お題」とかって書いててチラ見しちゃうワケですよ。

 

これなら書きやすいかしら?って思っちゃうじゃないですか。

ダメなブロガー代表みたいな気分です。

 

ではぬるりと書いてみます。

 

 

 

生家は、都会から少し離れた山の中にありました。

リアルに裏山があって、今思えばどこにいくにも坂が多かった気がします。

 

市バスの終点で、ちょっとした観光地でもありました。

 

両親は病院の寮に暮らしておりましたので、生家は寮ということになります。

 

私の小さい頃はプチベビーブームで、田舎なのもあり子供がたくさん居ました。

小学校でも4クラスあり中学校は9クラスあったほどです。

 

物心ついた時には父が寝たきりになりました。

そこそこ高齢だったので本人は戦争の終盤空軍の整備士をやらされて

よくないものが体に溜まってこうなってしまった的なことを

よく言ってましたが、たぶん思い込みです。

 

そこを詳しく書いても真実は闇の中ですので流します。

 

その父が、私が小学校5年生の頃に亡くなりました。

 

 

通夜も葬式も、親戚や友達が慰めてくれるのですが

下を向いてうなずくくらいしか出来ませんでした。

 

とういうのも、子供の私にとって数年間の寝たきりの介護は

そうとうに長く心を削る生活だったようで、

 

同情した友達が泣いているのに当人の私は泣けなかったのです。

 

自分はサイコパスなのかと恐怖したのをよく覚えています。

 

そこからは母子家庭となりましたが

私自身に悲壮感はまるでありませんでした。

 

時代的にヤンキーも多く、目立たない林に打ち捨てられた

キーを壊された原チャリを友達と乗り回した中学時代。

学校をさぼり友達の家に入り浸っていましたっけ。

 

当たり前ですがひどく叱られました。

 

山の上の大きい団地、友達と朝日を見たあの木漏れ日だらけの公園、

故郷を離れることを決めたのは17の秋のことでしたっけ。

 

そんな故郷です。

 

これ以上書くと長くなりそうなのでここらへんで終わらせます。

 

また機会があれば語ることもあるでしょうしね。

 

 

 

 

以上

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